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↑ずいぶん前に長崎の風花さんに行ったときの写真です

一日で一番寒いのは朝だと思います。みなさま厳しい寒さをどう対処しておられますか?

私は朝出社するときには毎年ですが、5枚から6枚のきぶくれで出社いたします。
ミシュランタイヤのマスコットのようないでたちの私の天国社でのお仕事は、ガーデニングや、お客様へのお花のお届けのアレンジや花束を作ることです。
今の季節、肥料や、観葉植物へのお薬、薔薇のトゲとりなどで指はアカギレがひどいです。火傷をしたように皮膚が裂けて、どんなクリームを塗っても、じんじんと痛いです。

私がお花の仕事を始めたきっかけは、アメリカで生活するにあたって、英語をそんなに話さなくていい仕事で私にもできることという理由でフラワーショップに務めることにしたのです。フラワーショップを経営するひとはイタリア人に多く、ガーデナーはメキシコ人、デザイナーは男なら殆どの確立で、お姉さん言葉(英語)をはなす個性的なひとたちでした。

最初の2年は夏の日も雪が腰まで積もった日も、毎日毎日薔薇のトゲ取りをしておりました。

指にトゲがささっても、取ってる時間無いよ!と叱られながらたくさんの薔薇のトゲをとってました。学校に通って資格をとらないと駄目だと言われてお花の学校にも通いました。ブルーリボンを持ってないと恥よ?と言われ、なんでもいいから田舎のコンテストにも出ました。あのときは、はやくデザイナーになりたくて、焦ってました。そして来る日も来る日も薔薇のトゲとりばかりで、お花のアレンジをさせてもらえないことが悲しくて、今よりもっと指も心も痛かったです。

シカゴには5年いましたが、最初の下積みの2年と、注文のアレンジや、ブライダルの仕事をさせていただいた3年間は、今の私をささえるとてもいい経験になりました。デザインは職場と学校ではイタリアのお姉さん言葉をしゃべる先生方に、ガーデニングはメキシコのおっちゃんたちに教えてもらいました。今はお葬儀の会社にいて、お葬儀に使われるお花の仕事をさせていただいておりますが、アメリカではお葬式のお花は、ものすごいデザイナーの方しかできない仕事でした。ランクとしてはフューネラルのお花はレベルの高いデザイナーさんのみが手掛ける仕事で、私のような駆け出しには触らせてもらえませんでした。

決して楽しいことばかりではなかったけれど、辛かったあの時代が私の原点なんだなと、ささくれてガサガサの指を見て思い出したりします。

生まれて3カ月で託児所に預け、私と共に頑張ってきたハーフの娘は、来年高校生になります。私には辛いとか悲しいとか思っている暇はありませんです。娘のために私はこれからもお花の仕事で生きていきます。

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福岡会館 和田律子