葬儀社天国社によるスタッフブログ
KAGOSHIMA
2016.11.30
お葬式の天国社(天国日記)
『決断に悩んだ時、知覧に行けばいい。ブレナイから』って先輩から言われた事があります
そうです"知覧特攻平和館"です
一昨日、昨日と研修会で鹿児島へイロイロと勉強に行ったわけですが、折角なんでという事で数名で知覧まで足を延ばしました
前々から行きたい場所だったので感無量
皆さんもご存知かもしれませんが、特攻作戦とは第2次世界大戦末期1945年(昭和20年)3月26日から始まりまり、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず" 死ぬ・亡くなる" という『必死』条件の作戦で、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名という半数近くが知覧基地から出撃しています。
平和館到着後、運よく語り部さんのお話を30分聴くことが出来ました。会場にいらっしゃった方半数の方が涙ながらに聞き入って。
本当に大変な時代であった事、送り出す両親の気持ち、攻撃に行くご本人が両親の将来を案ずる気持ちを考えると胸が痛みます
最近は、実の子供さまがお勤めになる喪主でのご葬儀でも直葬が目立ちます。心こもった直葬はいいのですが、そうでない直葬が最近増えたような気がします。お金はかけずとも両親を思いやる気持ちをもった直葬を行って頂けるよう、我々葬祭業者として導いていく必要があるような気がします。
最後に昭和20年5月4日24歳で出撃、戦死なさった方のご両親へのお手紙をご紹介させて頂きます
父上様
母上様
お喜び下さい 耕作(こうさく)も愈々(いよいよ)お役に立つ事の出来(でき)る日が参(まい)りました この日の来るのをどれ程(ほど) 待(まち)憧(こが)れて居(お)った事でせう(しょう) かねてより覚悟(かくご)致(いた)して居(お)った私 少しも驚きません 今更(いまさら)この世に何(なに)も想ひ(おもい)残す事はありません
たヾたヾ(ただただ)殉皇(じゅんのう)一徹(いってつ)あるのみです
この世に生(せい)を享(う)けてより二十四年 長)い年月 思へ(おもえ)ば海よりも深く山よりも高い御両親様の御恩(ごおん)に感謝致(かんしゃいた)すばかりであります
小学校中学校そして大学を卒業させていたゞ(だ)き何一(なにひと)つ御恩返(ごおんがえ)しなるものも出来(でき)ず誠に残念に思って居(お)ります
父上様) 若(も)し私が負ふ(おう)重任(じゅうにん)を全(まっと)うする事が出来(でき)ましたならば これが御両親様への私の最初にして最後の御恩返(ごおんがえ)しなりとお召(め)し下さい
“特別攻撃隊”に選ばれて実(じつ)に幸福に思って居(お)ります 男子(だんし)と生(うま)れてこれ以上光榮(こうえい)なものはないと信じます
不肖(ふしょう)私(わたし)も砂畑家(すなばたけ)の血(ち)を享(う)けた人間です
必ずやこの重任(じゅうにん)を全(まっと)うし御両親様の御期待(ごきたい)に添は(そわ)ん覚悟であります 何卒(なにとぞ)御安心(ごあんしん)下さい 弟妹達(おとうといもうとたち)をどうか立派な人間にしてやって下さい 私は永久に砂畑家(すなばたけ)が榮(さか)える事を何時迄(いつまで)も御祈り致(いた)して居(お)ります
弟妹達(おとうといもうとたち)始め親籍(しんせき)知人の方々に暮々(くれぐれ)も宜敷(よろしく)お傳へ(つたえ)下さい
簡單乍柄(かんたんながら)これにて失礼致(いた)します
左様(さよう)なら
昭和二十年三月十日 耕作拝(こうさくはい)
砂畑五作(すなばたごさく)様
きさ様
執行洋隆