葬儀社天国社によるスタッフブログ

朝、目が覚めて、ひんやりとした部屋の空気に、もう夏が終わったのだと実感します。

9月19日は、福岡会館の人形供養祭でした。朝からたくさんのお人形を持ってお客様が来館されました。

お線香をあげていただいて、お人形とお別れしていただくのですが、お人形は、とてもさみしそうで、悲しそうで、私はお人形に話しかけるような気持ちで、紙袋や段ボールに詰められたたくさんのお人形を、お花と一緒に祭壇に並べました。

ここからはオカルトなお話になります・・・

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私は神戸で生まれて神戸で育ちました。小さい頃、毎月21日に須磨寺にお参りに行っておりました。須磨寺では人形供養が有名で、柱に高く並べられたお人形は、何百というロウソクとお線香で、顔が黒くすすけていました。それはお焚きあげというお人形へのご供養です。お人形には霊魂が宿るといわれています。特に手作りのお人形には、作られた方の思い、元所有者の思いが込められていて、帰る家の無くなったお人形はとても悲しい顔をしていました。

私の父方の田舎には、とても古いお人形がまだ床の間にひっそりいます。子供の頃の記憶では、おかっぱの市松人形だったお人形が、2年前に見た時には、髪の毛が伸び、伸びた髪の毛は床まで届いておりました。小さいとき、そのお人形が気味悪くて怖かったのですが、今はもっと恐ろしいなと思います。きびしかった叔母さんがそのまま人形の中にいて、触らないでと言っているような気がしました。人形の髪が伸びるという話はよくありますが、実際に私の田舎に存在しています。

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先日の人形供養祭も、お寺さんにお経をあげて供養をしていただきました。お帰りになられるときに、ご住職が、とても強い念を感じるお人形があると言われたお人形は、私もお飾りさせていただくときに感じたお人形でした。古いですが、とても立派なお人形なので、持ってこられた方に、本当に手放されるのですかとお聞きいたしました。お人形が、悲しそうというよりは、何かお話したいかのように感じたのです。

あれはお人形の念のようなものでしょうか。

その方のお母様の手作りということでしたが、とても素人の手ではないような、浄瑠璃に出てくるような大きなお人形でした。そのお人形は、どことなくその方に似ていて、その方のお母様はもしかしたらこのお人形に似てらっしゃったのではと思いました。

私はお人形が大好きなのです。家にもいっぱいあります。とても大事にしていて、娘よりたくさん持っています。私自身、人形を作ったりするのですが、そんな私の趣味は、変わっているかもしれません。

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↑ 私の作ったお人形です。昔はずっと作ってたのです。

人形に対する思い入れは私の場合特別なのですが、祭壇にお客様のお人形をお飾りしながら、捨てられたんじゃないよ。ご供養していただくんだよ。怖くないよ。と、お人形に言い聞かせました。

捨てるに捨てられなくて・・・と言われながら、皆様お人形を持って来られます。人のカタチをしていて、とても愛らしい。笑っているときも、悲しみのときも、黙ってそばにいてくれたお人形を、もし手放そうと思われるときは、どうぞ天国社にお持ちくださいませ。奇麗に祭壇に飾って、お寺さまにご供養していただきます。

お人形の存在した意味を、供養という形で締めくくるのはとても良いことだと思われます。

福岡会館 生花/仏壇部 和田律子